【サルバドール・プラセンシア】紙の民

紙の民


好きな本 ぼしゅうのコメントより。
>こちらはマジックリアリズムのジャンルで、「百年の孤独」のように現実と非現実が混在する世界観と、想いがすれ違う人々の切なさ、本文のレイアウトや演出も奇抜で視覚的にも楽しめました。ただ、アマゾンではかなり高額に…!どうやら絶版になってるようです。もしこの本を目にする機会がありましたら、ぜひ読んだ感想をお聞きしたいと思いました。



いやー、最近は夜になるとちょっとびっくりするくらい急に寒くなるようになりましたね!
こちらの本はまだ夏には少し早い6月に紹介して頂いたんですが、絶版だった上に中古価格がなんと2万円とおっそろしく高額だったためにずっと保留にしていました。いや、なんでこんなにお高いのこれ?高すぎて逆に興味が湧くから、いっそのこと買ってしまおうかしら?と迷うも、そんなに古い本じゃなかったので少し待ってみますと案の定 価格が下がる気配がありましたので待つこと数か月。私は株のデイトレーダーかと思うほど日々微妙に上下するAmazon価格を小まめにチェックし、新品価格くらいまで落ち着いたところで買いに走りました。うむ、ここらがいい塩梅でしょう。
紹介者さんのコメントにも名前が出ていますが、マジックリアリズムというジャンルで有名な「百年の孤独」を3年に渡って繰り返し読んだという作者さんが書いたのが、今回の紙の民なんだそうです。百年の孤独は私も読んだことがありまして確かに面白い本だとは思いますが、3年も繰り返し読んだと聞くと「あ、この人ちょっとイッちゃってるな…」という印象を抱くのはしょうがない事だと思います。なんだかワクワクしてきました。
あ、この本の内容を要約する事は私には不可能なので、あとはつらつらと適当に感想を繋げていきますね。紹介者さんの「ぜひ読んだ感想をお聞きしたいと思いました」からは、読み終わった今では「はっはっは、無茶ぶりにもほどがあると思わんかね?」という乾いた笑しか出てきません。モウシラナイ!勝手ニ楽シム!
このお話は実に多くの登場人物、多くの章に分けられていまして、実に様々な方面の人物や情景を土星が描写していく構成になっています。土星ってなに?もうわけがわかりませんね。そうなってんだから仕方がないでショ!
とにかく最初は、折り紙を極めて紙の人口臓器を作るまでになった医者のお話です。精巧に作ったとはいえ紙が臓器の代わりをするという非現実的な内容ながら、結局この技術が医学界から廃れたのは職人的な技巧より新しい生体工学の発展に時代が移っていったという妙に現実的な結末で締めてきます。一人の医者の絶頂と転落をマジックリアリズム的な手法でどこか奇妙に可笑しく、でも物悲しく描いたプロローグは全体でもかなり好きな箇所です。このジャンル独特の面白さが、短いながらも詰まっていると思います。へぇー、こういう話にこれからなっていくんだなと頭をセットしてページを捲ると、次から始まっているのは土星と登場人物その1と登場人物その2の3段同時並行の物語です。ガラッと変わり過ぎてて「なんじゃぁこりゃぁ」と素で声が出ました。だから土星って何なんだよと。
よく分かりませんが、今度はおねしょが治らなくて奥さんに出て行かれた男の話の始まりです。この男は奥さんに出て行かれた後、小学生くらいの娘と一緒に引越して新たな土地での生活を始めるのです。おねしょなんて理由で妻に見放された男に情けなさを感じつつも、見ず知らずの土地で仕事を探す男の苦労は見ている私の心にも堪えるものがあります。また、自分で考えてお父さんについていくことを選んだ娘の強い意志に、その様子を見守る私は勇気付けられるのでした。一人の男と、一組の親子と、一人の女の子のドラマが綴られているんですよね。そして同時にこの男は、自分たちの不幸を遥か上空から見下ろす視線の正体、土星に我慢がならなくなって喧嘩をしかけはじめるのです。物凄いギャップです。片方では仕事だとか恋人だとかの誰もが出くわす可能性のある日常の悲哀を綴っているのに対して、もう片方では土星に見張られている不快感とそれらとの戦いを描くのです。現実的な出来事と非現実的な出来事は区別なく文章に織り交ぜられ、実に混沌とした世界が用意されています。もちろん読者も混乱します。でも登場人物たちはそんな世界でもとにかくまずは生活しなきゃならないでしょと、多少迷いつつも前に進んでくれる所にこのジャンルの妙があります。どんなに目の前に非現実が広がっても、明日のご飯に今日の寝るところを忘れないリアリズムな思考こそに私は面白味を感じますね。土星に喧嘩をしかけながらも、奥さんがいないのは寂しいし、娘に苦労を強いるのは心苦しくも一緒にいてくれるありがたさを感じる、どんな場面でも大事な気持ちは忘れちゃならんのです。
ちなみに散々出てくる土星は作者の比喩です。比喩っていうか、もろに土星はサルバドール・プラセンシアって明示されて出てきますけど。メインで出てくる男は「俺の不幸を眺めてそんなに楽しいかコンチクショー!」って作者に喧嘩を売ってたわけですね。物語の登場人物が作者に喧嘩を吹っ掛けるのは結構な事ですけど、その攻撃は読者にも届くんで笑えました。作者が作中の恋人に包茎をばらされるくらいならまだいいですが、「結末ばらすぞコノヤロー!」って脅されてた時はテロ行為過ぎる!とこっちまでビビりました。あと、作中でも何故か「紙の民」は出版されていて即絶版になって古本で叩き売られていて笑いました。確かに日本じゃ絶版になって古本屋で売られてましたから。でもプレミアついてますよ!よかったね!
軽く紹介しただけでも、冒頭の折り紙外科医や土星(作者)に喧嘩を売る男や、ついでに作者本人(同じ作中のアメリカに住んでた)も出てきたりと、やたら濃いキャラが揃っているのもこのお話の面白い所です。その中で私が一番好きな登場人物はベビー・ノストラダムスですね。ただの赤ちゃんです。ただの赤ちゃんで最初は障害でも持っているんじゃないかって描写をされているんですけど、実は全知の存在で語り出すとめっちゃ大人びているという、それは反則だろみたいなキャラです。最初の頃にベビー・ノストラダムスの台詞が意味不明だったのは、実は土星(作者)に思考を読まれないよう意図的に隠していたからという衝撃。作者に隠しているという事は、もちろん読者も彼が何を考えているか分かりません。登場人物 対 土星(作者)の戦争が激化していくお話の後半で、ただ一人完璧に思考をブロックし続けるのが赤ちゃんだけという出来事に笑うなという方が無理です。この赤ちゃん、強ぇ…!
非現実と現実の混在どころか、実際に本を読んでいる読者まで巻き込んでしっちゃかめっちゃかするこのお話に一本筋の通った面白みや哀しみを感じるのは、登場人物たちが自分たちの生活に結局は戻らなくてはいけないという現実志向を最後まで貫くからでしょうかね。明日を見失わない力強さとでも言うんでしょうか。私の日常は彼らほど不条理じゃないはずなのに、よく未来も将来も分からなくなることがあります。もっと大変な状況で生き抜くマジックリアリズム世界の人間に私は親しみを感じますし、憧れもするんですよね。