【マヌエル・プイグ】蜘蛛女のキス

蜘蛛女のキス (集英社文庫)


好きな本 ぼしゅうのコメントより。
>こんにちは。ラテンアメリカ文学の中では有名だと思うのですが、「蜘蛛女のキス」(プイグ著)をオススメします。舞台はほぼ刑務所の中なのですが、登場人物が様々な物語を語るので、情景が飛んでいき、不思議な空間の広がりを感じます。二人の登場人物の心のふれあい、愛情が切なくも美しいと思います。


おすすめを頂きました。ありがとうございます。ヤッタネ
ラテンアメリカ文学と一言でいっても長年積み重なった歴史を持っていますので様々な作品があるのですが、例えばマジックリアリズムというジャンルを追い求めると、必ずその作品群に出くわすことになりますね。私はその方面からその存在を知りました。自分が読んだ中では「百年の孤独」や「アルケミスト」なんかが、ラテンアメリカ文学に該当するそうです。あとラテンアメリカ文学とはなんたるかについて語る事は自分には到底出来やしませんのでそこはスルー!改めて調べてみたけどみんな何言ってるのかわかんないヤ♪
さてそんな事はさておき、本日はコチラ「蜘蛛女のキス」よりお送りします。
このお話は三人称視点での情景描写が全く無く、ほとんど登場人物二人の会話のみで進行するという小説としては少数派な形式をとっています。ページを捲って初めて目にするのが、二人の男女の他愛もない会話です。二人が何者かという情報はありません。いったいどこで話し合っているかも分かりません。ただ男性に向かって女性がお気に入りの映画のストーリを話しています。何ページも何ページも続く、長い長い口演です。あまりに長いため二人は話を途中で止めて、お休みの挨拶を交わして眠りにつくのです。続きはまた明日…。あら、今は夜だったのね。そんな事すら後になって気付きます。
この二人の男女は、正確には男と同性愛者(ゲイ)の男だという事が少しすると分かってきます。二人がいる場所は刑務所の牢屋の中であり、夜の暇な時間にゲイの男は同室の男に、自分の好きな映画のストーリーを語って聞かせているのです。同室の男の様子はというと…、良い暇つぶし代わりだとでも言うように適当な相槌を入れながら楽しんでいるようです。この二人はきっと消灯時間も過ぎた狭い暗闇の中で、粗末なベッドに横たわりながら会話を楽しんでいるのでしょう。ゲイの男は相手を見ながら話しているのに、でも同室の男は仰向けに寝そべって子守唄程度に聴いているんだろうな…そんな情景が思い浮かぶようでした。
政治犯として投獄されたヴァレンティンと、未成年者の猥褻幇助罪で懲役を言い渡されたモリーナ。この男同士二人のやりとりは男女のものではありませんが、オネエ言葉でいろいろ気遣ってくれるゲイのモリーナは、どことなくかまってあげたくなるセクシーさがあります。愛らしいんですよね。男性から見ればモリーナは同性の気安さを感じる上に、こっちは関心を寄せなくても特別な好意まで持ってくれるかもしれない、まるで女性みたいな便利な相手です。モリーナにとっちゃ、そんな扱いをされちゃたまったものではありませんけどね。かたや友情、かたや愛情。二人の感受性の違いには、ちょっとモリーナに申し訳なく思いながらも、普段はヴァレンティンの友情側目線で肩入れしてしまう私。でもモリーナが大好きな映画のラブシーンをせっかく語っても、ヴァレンティンには劇中のドイツの将校とその反対勢力の政治的内容にしか目がいかない始末には、流石にモリーナを応援したくなりました。つまらない男ですね、もう。
この二人はただ単に暇つぶしに語らっているのではなくて、実は政治犯であるヴァレンティンから仲間の情報を引き出せば、モリーナには刑期に恩赦が与えられるという裏取引が交わされていました。ヴァレンティンはそんなことはもちろん知りません。モリーナがヴァレンティンにいろいろ話しかけるのも、いろいろ世話役を買って出るのも全ては早く自由の身になるための偽装だった…。このお話が一気に狡猾なサスペンスに変わるかと思われた場面もありましたが、私にはモリーナの気遣いが偽りだった瞬間は結局なかったように思えました。そもそもモリーナが早く出所したい理由も、体調が悪い母親が心配で心配でしょうがないからでして、元々他人に悪意を向けられるような人間じゃなかったようですし。(可愛い男の子にイケナイことはしちゃったけどね☆)
反政府組織の情報というナマモノを狙う以上、時間制限は付き物です。刑務所の所長から進展を急かされるモリーナにとって、ヴァレンティンが自分の映画の話を楽しみにしてくれるのは都合が良い事です。長い語らいの中でぽつりぽつりと話すお互いの事は、塵も積もればプライベートな事だって話してしまうもの。やがてヴァレンティンが心を開いてちょっとずつ仲間の事を話そうとしてくれるのはモリーナにとって有利な事のはずなのに、肝心なところは訊ねないで聞きたくないと毎回話を打ち切っちゃうのよモリーナさんは。これは相手を信頼させるためにわざとやっているの?そんな不安定な綱渡りが成功するなんて普通思う?だとしたらあまりにも上手すぎて看破するのは難し過ぎじゃない?モリーナってやっぱりヴァレンティンの身を案じて素で拒否してるだけじゃない?そうとしか思えなかった私。
だからこそ最後にモリーナがヴァレンティンから全てを聞く決心を付けた理由が、私にはどうにも断定できませんでしたね。ヴァレンティンの反政府仲間に協力すれば、そりゃヴァレンティンさんは喜ぶでしょうけど、モリーナは政府がどうなろうと実際はどうでも良いと私は思っていました。ヴァレンティンが1番大事で、彼が出所できるなら政府にも反政府側にも鞍替えする、そんな方法を取るのだろうと。反政府組織に協力したところで、革命は進んでもヴァレンティンが直接助かるわけじゃないと知っていたはずなのに、何故その方法を選んだのでしょうか。最後まで何も聞かずに別れても何か方法が見つかったわけじゃありませんが、だからこそ気になるんですよね。モリーナが思い描いた未来ってなんだろうって。ここは読者である自分が頑張らにゃいかんところですね。
ヴァレンティンとモリーナの、二人の長い長い映画の語らいは最初、モリーナだけが相手を見ながら話しているように感じました。やがてヴァレンティンが夜のお話を心待ちにするようになって、ようやくモリーナと顔を向き合わせて楽しそうに話したり出来たのでしょう。二人の心の距離も物理的な距離も小説ですから目には見えませんが、次第に縮まっていく様子が読んでいて容易に想像出来るようでしたよ。