魔王っぽいの!2

魔王っぽいの!  2 (ガガガ文庫)
( ※初めに、書き終わった日記を見て俺から一言  「僕は疲れてるのです」 )



仕事に疲れたとき…
人生の意味についてふと考えてしまうようなおセンチ(センチメンタルの意)のとき…
普段からロクなもんじゃないと思っているライトノベルですが、少なくとも今の私はそのロクでもなさに笑い、少しだけ心にゆとりが生まれていると思います。
格式張った本と違って分かりにくいかもしれませんが、ライトノベルも本であり、本であるため私たちに様々なイマジネーションを授けてくれるものなのです。イマジネーションがお話を創造し、作者が物語を想像することを止めない限りライトノベルの価値は存在し続けるのだと思います。
この「魔王っぽいの!2」は、ある日異世界から自称魔王の女の子が主人公くんの前に現れたお話の2巻です。
形は違えど本を読むことは書いた人間の思想と話し合う事であり、作者の想像と私の想像が対話するコミュニケーションの場です。
例えば目の前に女の子の魔王が現れて俺とイチャイチャしたらどうだろう、と作者が自らの想像を提示し話しかけますが、私はそれを想像としては限りなく本能に近いレベルの低いものだと断じて意に介しません。では魔王には配下が必要だ、魔王の配下としてスライムを登場させよう、姿は巨乳の女の子だ、と作者は次の想像を提示してきます。私は巨乳に若干心を動かされながらも何故モンスターが女の子なのか納得はせず、やはり本能とほぼ変わらないレベルの想像だとその価値を認めることはしません。しかし作者はめげることをせず想像を続け、魔王の衣装をきわどくし、スライムを風呂に入らせ、数々のセクハラを実行していきます。私はその度に安易だ、思慮が足りぬと切り捨てるも、絶え間なく続く妄想とその量に若干の手応えは感じられるようになります。色欲妄想もここまで濃くすればまずまずのものでしょう。私は転んだ拍子に女の子の胸を揉む、木の枝にスカートを引っかけてぱんつを晒すというシチュエーションは安易だから嫌いというわけではありません、ただそこで作者が想像を止めて次なる状況に行ってしまう事が嫌いなのです。大事なのはそこからなのです。歓喜、後悔、憤り、怨嗟、様々な感情をそこに詰め込んで想像の彼方を見せて欲しいのです。作者と読者の想像の真剣勝負を私はいつだって望んでいます。
作者はやがてエロすごろくなるものを魔王達にやらせ始めます。内容はそんなに想像できないものではありません、ただすごろくの止まったマスにエロいことが書かれているだけです。その中の一つに「幼女相手なら確実に通報編」というバージョンのすごろくがありました。この時に私は「そう、これだ」と望んでいた瞬間を見つけたことを悟りました。
エロすごろく「幼女相手なら確実に通報編」、これが私の想像の限界地点! 作者は私の想像の限界の入り口まで辿り着いたか!
幼女相手に通報、これがこの想像の達成条件です。通報されるだけなら簡単でしょうが、そんなものは違います。なんだ、いったい何をするんだ、その先を想像するのは私には容易ではありません。ですが及ばずながら少し挑戦してみましょう。
まず今流行のぺろぺろをするのはどうか。いや、そんなもの幼女じゃなくても通報だ。露出はどうだろう、よく学校では不審者への注意を先生から促されたものですが…これも年齢性別関係なく通報されるでしょう。バナナ…フランクフルト…食べ物はどうか、確かに危ない雰囲気を出せるが食べ物だけでは逆に通報までは厳しいか。そこの写真を取ったら?まとめてブログに掲載すれば…うん、これはいけそうだ。ただ合わせ要素が多くてあまりスマートではないのが問題だ。しかし写真というアイデアは良さそうだ。
…ふう、これでようやく一つ。すごろくにするにはまだまだ足りません。これが私の限界です。
では作者はこのエロすごろくにいったいどんなマスを置いたのかというと…、作中ではこのすごろくは誠意作成中という事で内容は不明でした。この勝負ドロー!両者攻め手なしで引き分け! 作者もその先を考えてなかったのは残念ですが、エロすごろく「幼女相手なら確実に通報編」という想像力の限界地点を見せてくれたことを称えたいと思います。この限界の先に到達できる人を私はいつも心待ちにしているものです。
勝負は次回、魔王っぽいの3に持越しすることにします。(買うの決定かよ!)
作者が想像することを続ける限り、ライトノベルには価値が存在し続けるのです。