【清水義範】愛と日本語の惑乱

愛と日本語の惑乱 (講談社文庫)


コピーライターの主人公さんが日本語の用法、誤用、次々生まれる新語などに惑わされながらも業界で奮闘していく姿を描いたちょっと変わったお話です。小説の形を借りた、エッセイのようなノンフィクションの新書のようなようわからんナニかになっています。
好き勝手にブログで感想を書いている私ですがこれでもちょっとくらいは文章の体裁というものを気にすることがありまして、作中であれこれ日本語の使い方について大学教授のキャラが意見を述べたり、出版社の社員のキャラが表現についてどれそれ指摘したりする会話は、読んでいてなかなか興味を惹かれるものがあります。例えば文章中の数字の表記は自分でも悩んだことがあるくらい身近な話題ですね。PCに好き勝手変換を任せていたら、20巻だったり二十巻だったりと算用数字と漢数字が混じっちゃう事が良くあります。気にはなりますが、面倒くさいのでよく放置してますけどね!また別な話になりますが、自分の事を俺とか私とか僕とかボクとかどれに統一しようか悩む事も良くありますね。せめて一つの感想内でくらいは一人称は統一しようか考えたこともありましたが、これは私の好きな作家の池上永一さんがエッセイで混ぜて使っていたのを見て以来、あぁそういうのもアリなんだと勝手に納得して自由に使っています。
お話も日本語の正誤について堅苦しいものではありません。むしろコピーライターの主人公さんが日本語の意味を理解した上であえて崩していく(大衆の目を惹く)お仕事の人でして、仕事先の頭の固いオジサンたちに食って掛かる場面はマジいいシーンなんすよ。
言葉の意味や使い方が時代と共に変わっていくのも必然であるし、それが言葉の面白さなんだなぁと思います。この小説が「大爆笑長編小説!」の紹介と共に売り出されていたのもある種の時代の反映なのだろうかと考えると、面白い所がありますね。ちなみに私はクスリと笑えましたが、大爆笑となると「ハーッハッハッハ!!見事につられマシタカー!俺ダセー!ハッハッハ!」という感じになります。チョーウケル。マジパネェ。